太陽になった日の日記

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友達が予約してくれた飛行機が10:10発。
なんて完璧な旅の始まりなんだろう……と思った。
前日に施した爪を何度も眺めてはにんまり。きらりと細やかなラメが輝く深いオレンジ。髪には分かりづらいけどオレンジみのあるハイライトを入れてもらった。私は生粋のブルベ(3〜4年前の診断です)らしいので暖色を避けてきたけど、SEVENTEENさんに出会ってからというものの、身に纏いたい色を見つけたとき、ブルベとかイエベとかマジで知らね〜〜〜と思うようになった。良いことです。

数日前に感情が溢れて泣きながらiPhoneのメモ欄にファンレターの下書きを打ち込んで、翌日に違う意味で泣きながら韓国語訳を書き写した。腱鞘炎になるかと思った……こんなに全力で手紙をしたためたのは初めてです。
お手紙の良いところは、送り手と受け取り手のみにしか中身が共有されないことだよなぁと思う。

Twitterはてブロのように不特定多数に読まれることを前提にしていないので、誰の目も気にせず素直な気持ちを本人に届けられる!という喜びと、でも膨大な数の手紙を受け取るであろう本人の負担を考えると、独りよがりになってはいけない……という思いもあり、悩ましかった。
伝えたいと思えば思うほど自分語りにしかならないのは、対象が直接的な関わりのない”アイドル”、かつ”推し”という重要で大切な他者だからこそだな、と思う。

 

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東京が好き。
特に意味はないけどわたしは高くてデカい建物にとにかくテンションが上がるので、電車から見える有り得ない高さのオフィスビルや、タワーマンションが並ぶ光景すらも魅力的で、その街の中に自分が居ると思うだけでワクワクする。
もう遠征で何度も訪れているけど、沖縄に比べていろんなカルチャーにアクセスしやすいのも嬉しい。本音を言えば1週間くらい滞在して、朝から夕方までありとあらゆる美術館と書店を巡ってひたすら散歩したい。ただ歩いているだけでも楽しい。でも住処にしてしまうと、私が好きな「東京」ではきっとなくなってしまう。
吉澤嘉代子ちゃんが「東京絶景」で東京を”美しい”と歌っていて、わかる〜〜〜〜となる。”欲望の街”、”星は見えない泡沫のプラネタリウム”、私の場合は自然が美しいと言われる場所で生まれ育ちましたが、東京のぎらついた人工的な輝きも同じくらい美しいと思う。少し乾燥した街の空気、駅の雑踏、煌びやかな看板たち、地方では感じられないこの上ない開放感にグッときます。スクランブル交差点を友達に掴まってビビりながら渡ってしまったけど、大好きな街です。

 

話が逸れましたが、初日にはSEVENTEEN MUSEUMに行きました。
(以下ネタバレ含みます!まだの方はスクロールして飛ばしてくださいね)

 

メンバーのQ&A、日本の活動で印象に残っていることは?みたいな内容だったと思う。
スングァンさんの「Happy endingの活動のとき、メンバー達と沖縄の海を見に行ったこと」との回答を見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。
嬉しさのあまり友達に「ねえ、ねえ、これ、みて、ねえ」と泣きそうな声で伝えることしか出来ず、ずっとスングァンさんのパネルの前に居てもいいですか……宝物にしたい……と思うくらいには心が満たされた。たくさんあるはずの日本での素敵な思い出の中で、こうして記憶の中から選んで伝えてくれたこと、本当に感謝しかない。
撮影禁止エリアなのが歯がゆかった。でもどうしても覚えていたいからこうして書きました。元々このイベント自体行く予定ではなく、ギリギリに日程に組み込んだけど来てよかった。ありがとう……

フォトスポットで順番待ちの人達を前に写真を撮るの、めちゃくちゃ勇気がいるな……と思ったけど、こういうのは照れたり遠慮したりすると絶対後悔する!と思ったので自意識を捨てて頑張りました。最近、写真の「撮られ方」を模索する日々です。撮られる時はルックアットミー精神で堂々とすること、自分が思うよりちょっとオーバーなくらい笑ったほうがお気に入り写真になることが多いな……と気が付いたので、あともうちょっと慣れたい所存です。可愛く、よりも楽しそう・幸せそうに撮られたいですね。

 

夕方から東京ドームの下見がてらフォロワーさんとお会いして、音漏れに大興奮したり、お写真を撮ったり、SEVENTEENさんコラボプリを撮ったりしていました。
コラボプリ、というかプリクラってやっぱり難易度高すぎる……ブース内でわあわあ大騒ぎしながら撮ったの良い思い出です。
夜には26日に参加されたフォロワーさんたちも合流して、HANABI以来の再会にじーんとなる。また会えてとってもうれしかった。コンサート会場での再会って、本当に奇跡だな、と思う。
そしてお土産やスングァンさんのトレカをたくさんお譲りいただけて、嬉しくて有難くて、恐れ多い……!となる。CD積まない民なので、トレカ類がなかなか集まらない人間で申し訳ないです。私の手元にいるスングァンさんは半分以上がフォロワーさん方のご厚意でやって来たので、ファイリングを眺めてはいつもありがとうございます……となります。ありがとうございます……本当に。

私に出来ることは銘菓をたくさんお裾分けすることくらいなので、今後もいろんな沖縄銘菓をお渡ししたい。ちんすこう掴み取り大会とかしたいですね。
スタバが閉店時間だったのでサイゼに移動したりしましたが、あまりにも時間があっという間すぎる……。
SEVENTEENさんが交差点になって生まれたご縁、住んでいる場所も年齢も違う人々と、隔たりを感じさせないかけがえの無い時間をすごせること、シンプルにすごいな。幸福すぎるな。
私は関係性を維持するためにリソースを割くことがとても苦手なので、どのジャンルでも繋がりが長続きしないんですが、こうして「何度でも会いたい」と思える貴重な人達に出会えたこと、有難い限りだな〜と思います。
テクストだけじゃないコミュニケーション、アドレナリンがどばどば溢れてお喋りに夢中になる時間も、ふと訪れる居心地のよい沈黙も全部好きでした。別れ際も自然とハグしにいってて自分でもびっくりした。うれしくって抱きあうよ、ってこういうことかもしれない。(そういう接触がもし苦手だったけど無理をさせていたら申し訳ない)

 

23時くらいにはホテルに戻る予定が延長に延長を重ねもはや日付が変わる寸前になっていたと思う。ホテルの部屋で待っている友達にLINEを入れたところ「わかった!終電までには帰ってくるんだよ」との返事があり、優しい……となった。

 

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遠征のときにすこぶる体調が良いのは珍しいと思う。
友達がいたお陰か、SEVENTEENの現場が2回目だからなのか、理由はよくわからなかった。

前日の夜は爆睡、朝はちゃんとお腹を満たして、ご機嫌でドームに向かった。体調良好、お天気にも恵まれており、その時点でサイコ〜!となる。

開演前にも何人かご挨拶出来てうれしかった。あんな人の多い中、見つけてくださりありがとうございました……。楽しみましょうね!と言い合って別れるの、とっても好きです。コンサート会場ならではのやり取りだな〜としみじみ思う。

 

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そして入場。
今日、私のために用意された席に座る。

”夢の東京ドーム”と言われているほどに、SEVENTEENさんにとって思い入れが強い場所に、私の席があること、ありがたい限りでした。
座席数の多さにはそこまで驚かなかった。
たくさんのCARATが彼らの傍にいることは、ずっとずっと前からわかりきっていたことだから。
むしろ世界中にいるCARATの数に比べたら、5万人なんてほんの一部に過ぎないと思う。
今日という日を会場で見届ける権利を与えられたことに感謝しつつ、開演を待った。

 

※コンサートの記憶が断片的なので思いついた順に感想を書きます。そして、既に他の方がブログなどに書いているかもしれない比喩や、似たような言い回しを使うかもしれません。悪しからず……

 

私の席は2階スタンド席のどちらかといえば前方。”どちらかといえば”という枕詞が付くのは、私よりも前方のスタンド席は照明機材が配置されていたから。
隣にスタッフさんが腰掛けると、ちょうど同じサイズ感になるくらい、私生活では絶対お目にかかれないであろう大きさの照明が13台。開演時間が近づくと、1台につき1人ずつスタッフさんが担当する形で着席した。

かっこよかった。

SEVENTEENだけではなく、ここにも職人たちがいた。
それぞれの持ち場で、それぞれの東京ドーム。
今から目にする光景は、ステージに立つ彼らだけでは決して実現できなかった、数多の職人技が結集してこそ、創りあげることが出来た空間なんだ……。こちらまで身が引き締まる。一瞬一瞬、ちゃんと心に刻みます。ステージを輝かせてくれて、彩ってくれて、ありがとうございます……と背後から感謝の気持ちを送る。裏方の仕事ぶりを間近で見られたのは、貴重な経験でした。

 

DREAMのMVが流れ出す。いよいよ日が昇る。

 

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強烈な愛のうねりのようなものを目の当たりにした時、わたしがずっとこねくりまわしていた理屈はなんて無意味なんだろうと思う。
大好きだ、とありふれた言葉が何度も胸を駆け巡ると同時に、言葉は、なんて頼りないのだろうと思う。どれも当て嵌るのに、どれも正解じゃない。ありあまるほどの愛に、脳が追いつかない。

 

東京ドームで見たSEVENTEENは、SEVENTEENが放つ光は、あまりにも大きかった。
私はステージから一直線上にある2階席の真ん中から彼らを見つめていたので(本当に絶景だった)、今日ここに来ることが叶わなかったCARAT、デビュー前から彼らを見届けていたCARAT、あるいはつい最近彼らに出会ったCARAT、一人一人との物語がすべてここへ繋がっていると思うと胸がいっぱいになる。

 

”東京ドーム”に対しての、どこか崇高さみたいなものはあれど、誰がどこに居ようと関係なく、紛れもない「SEVENTEENとCARAT」で迎えた大切な日。
溢れんばかりの愛を全て引き受けてステージに立つ13人の存在感そのものは、あまりにも大きくて眩しい。だけど、紛れもなく私がよく知っている、いつも通り最高のSEVENTEENだった。

 

「ひとりじゃない」が終わるころ、ジョンハンさんがゆったりを背を向けるのを合図に、「舞い落ちる花びら」のイントロが流れ出す。あまりにも美しい、清らかな水のような曲の繋ぎ。HANABIのときに見えなかったフォーメーションが、ここからはよく見える。

 

蕾だ、と思った。

 

東京ドームの真ん中。冬を耐え抜いた蕾が、鮮やかな13の花びらを纏って、ようやく開花したのを確かに見た。
ツアーの中止、長い長いコロナ禍、再契約……私が共にした彼らとの約2年は、凍えるような寒さに耐えながらお互いの”あいのちから”を、その心の温もりを確かめあいながら過ごした日々だったように思う。
あたたかな春の陽射しが舞い込むように、ようやくSEVENTEENとCARATのあたらしい物語が動き始めた。雪解けだ。わたし達のもとには、確かに春が来たんだ。

 

開演からじんわり涙が滲む瞬間はあったものの、涙は零れなかった。これはHANABIのときからそう。けど、アンコールで披露された「あいのちから」で、マスクがびしょびしょになるくらい泣いてしまった。
切実な祈りの歌は、再会を経た今、歓びと労いの歌に変わったように聴こえた。

 

メントでは「責任」という言葉を使うメンバーが多かった印象です。
それは見方を変えれば”重圧”とも捉えられるかもしれないけど、常にCARATと想い合い、ここへたどり着くまで、そしてこれからも長い旅路を共にしていくからこその決意表明であり、かつ”アーティスト”として職人気質なSEVENTEENさんだからこそ、もっと良いものを見せたいという思いから出てきた言葉だと解釈した。
べつに他人に都合のいい妄想だと嘲笑われても構わない。彼らの誠実さは、CARATという名前を貰った誰もが、きっとよく知っている。

 

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なんとも形容しがたい「良い」としか思えないエピソードや、「好きだ」の三文字しか浮かばない瞬間が幾度となくあった。小さな爆発が何度も起こるかのような、そんな風に心がスパークすること自体が、彼らを好きな証拠なのかもしれない。この空間と目の前の彼らにただ没入する。笑う。躍る。SEVENTEENを前にすると、私は何もかも手放せる。理屈を捨てる。心が浄化する。幸福だけに支配される。だから好きでいることを止められない。
この1年ほどは、言語化、ということを大切にしてきたけど、言葉にならない瞬間だって確かに存在した。言葉を失うのではく、言葉なんて要らない。そう思った。あの時感じた胸の奥から燃えあがるようなそれは、ただ、その瞬間が「あった」ことだけで、こんなにも尊い。大丈夫、この先も思い出せる。だから私はまた彼らに会いに行く。想いは、誰に共有しなくても、私だけが知っていれば十分だ。

 

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そして終演後、ほくほくとした気持ちのまま夕飯がてら友達とサイゼへ。(2日連続です)(飽きない)
ただただ、楽しかった!!!という心地よい達成感のようなものに包まれた私はコンサートの記憶がほぼなく、起動させたiPhoneのメモには「スングァンさんのPOP」としか打ち込むことが出来なかった。本当にしっかりして欲しい。
友達は私の目の前で次々にコンサートの感想を箇条書きでメモへ打ち込んでおり、その冷静さに、すご……となった。

 

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(スングァンさん、ここがサイゼです)


サイゼの100円ワインで乾杯して、好きにお腹を満たして、帰りにコンビニで買い込んでホテルの部屋でまた飲んだりした。
ホテルのテレビでたまたまミュージックバンクの再放送がされており、しかもSEVENTEENさん出演回だと知り、慌ててCARAT棒を準備、コンサート終わりでテンションが上がりきっているのでaespaにもCARAT棒を振るなどしていました。オタクはとにかくペンライトを持つと振りたがるので……


歌唱曲は「_WORLD」だった。

つい数時間前まで東京ドームで一緒にいた人達を、テレビの画面で観るという不思議な体験。
K-POP10年選手で、シャヲルでもある友達が映像を観ながら「誰も欠けずに、こうして全員揃って出演出来ているのは凄いことだよ」と言っており、そっかぁ……程度にその時は聞いていたけど(あまり重苦しくないテンションでもあったので)、こうして遠征振り返り日記を書きながら、そのありがたみをようやく感じています。

 

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遠征から帰ってきたことを「現実に戻る(夢から醒める)」と喩えることがよくある……というかこれまでずっとそう言ってきた。

 

東京からの帰り道、明日から現実か……という思考になりそうな時、”夢ではない”と歌うSEVENTEENさんのことを思い出しては、何度も救われた。
東京ドームで私が見た景色、あれは夢のような”現実”の出来事だったのだと、SEVENTEENさんが自ら肯定してくれている。
アイドルは現実逃避のための、夢の中の存在ではなく、この現実世界を共に生きる存在なんだ……という実感。生活や仕事がままならずしんどくなる時だってあるけど、SEVENTEENさん、もといSEVENTEENさんたちが結んでくれた縁も、紛れもない私の”現実世界”であり、家族や友達と同等に人生の傍らに寄り添ってくれている。

励ましや癒しを与えてもらうだけではなく、それぞれの場所で、今もこれからも、歩みを共にしていく存在。

SEVENTEENの旅路にはCARATである私がいて、私の旅路にはSEVENTEENがいた。それだけのことだ。

 

「また会いましょう」は、よくSEVENTEENさんが使う言葉だ。お決まりの挨拶でもあるけど、「また」があることの希望みたいなものを今感じています。

SEVENTEENさん、再会できて嬉しかったです。

そして次の約束を交わしたからには、また会えるその日まで元気に過ごさなきゃだめですね。
なんせ、次会うときはもっと大きな会場なはずですから。

 

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(改めて、お会いして一緒に時間を過ごしたり、ご挨拶してくださったり、ソンムル交換にこころよく応じてくださったCARATの皆さん、本当にありがとうございました。今回お会い出来なかった方も、次のSEVENTEENさんとの約束を果たすとき、必ずやお会いしましょう!!!!)

 

 

(3日目の芝公園お散歩日記も書こうと思ったけど、本当にただ友達とお散歩しただけなので割愛します……!)

 

 

 

今日までの日記

長くなりそうなので、インスタではなくここにまとめておく。悩んでいたこと、うれしかったこと、近況など。

 

 

お久しぶりです。
皆さん、健やかに過ごせていますか。
私はというと、Twitterで「発信すること」が怖くなり、しばらくお休みしていました。

ケーポップ、アーティストもファンもとにかく速いですよね……。早いし、速い。その「速さ」に自分の気持ちも言葉も押し流され、誰の声もノイズにしかならない瞬間が何度もあり、ただただ心だけが消耗する日がいつの間にか増えていました。ただでさえ瞬発力が無い人間なのに、おや?とか、あれ?とかいう違和感にいちいち立ち止まっていたら、どんどん置いてかれてしまう。疲弊すると被害者意識と自罰感情に襲われて攻撃的になりかねないので、距離を置いた、という感じです。

 

インスタでは何度か言っていますが、今私にとっては書くことはセルフセラピーになっています。記録以上の、healingのための「書く」という行為です。

文章という体裁をとっていますが、ロジカルライティングが死ぬほど苦手なので、ぽこぽこ話題を羅列して、出来事や思うことを書き連ねていきます。時系列は多分バラバラだと思う。

何も得られない可能性のほうが高いので、無理に読まなくても大丈夫です。あと、性暴力の話題に少し触れます。(私が被害に遭ったわけではない)

呟くほうのアカウントをお休みしている間は、のんびりゴセでも消化しよう〜と思っていたけど、結果としてほとんどSEVENTEENさんのコンテンツは観なかった。でもそれに対して後ろめたさを感じなかったのは良かったかもしれない。全部観る必要はないし、観るものは選んだっていいし、観る気が起きないものは一生観なくともいいと思う。

 

 

※2022.11.06 DJ松永氏のイベントでの言動を受けて、Creepy Nutsに関する内容を削除いたしました。私は例え過去の事件であろうと、性犯罪は断固として許しません。また、それを"ネタ"として扱うことは、被害者に対しての二次加害です。彼らの音楽やラジオ番組の1ファンではありますが、今回の件に関しては、私は一切の擁護もいたしません。

 

over the sunのイベントも配信で観た。堀井さんの「会いたかったよ〜!」でじんわり涙が。私会場に居ないのに……。
互助会、本当に空気があたたかくてありがたい。序盤のおふたりの仮装、スーさんがOL(わかる)と堀井さんが聖徳太子(ん???)で混乱しました。というかやりたい仮装で「聖徳太子」が咄嗟に出てくる堀井さん、何……?好きすぎます。過去に反響の大きかったメールを紹介するコーナーで、推しを帝国ホテルに例えた人のメールがまた読まれてて最高だった。
毎週、セーフティスペースのような番組だな……と思いながら聴かせてもらってます。私もいつか街で偶然オーバーザサンTシャツ着た人に巡り会いたい。

劇団トレメンドスサーカスの『女の子は死なない 実録演劇犬鳴村 男尊演劇死滅譚』もアーカイブで視聴した。
8月に観劇したマームとジプシーのcocoonも良かったけど、こちらも本当に出会えてよかった演劇。最高!!!!の一言に尽きる!!!本当に、最高です!!!上演してくれてありがとうございます……!!!!

とにかく最初から最後まで怒りに満ちた作品だった。ずっとずっと昔から女の子の尊厳を踏みにじってきた男たちへの怒り、そしてそんな男性中心主義的な構造に順応しようと名誉男性になってしまっていた自分自身への怒り。
演劇を「する」側との関わりと言えば、過去にとても小さな規模の演劇作品に出演経験があるくらいで、内情にはそこまで明るくなかった私ですが、演者の口から実名で語られる演劇界のハラスメント、とりわけ性暴力や性的搾取構造の酷さに悔しさとやるせなさが込み上げてぼろぼろ泣いた。その後に猛烈に私も怒りが湧いた。

ヴァージニア・ウルフが嘆いていた、あの80年前から何も変わらない。この世の歪んだ秩序が、税金レイパー達を初めとしたクソオジたちの創り上げた歪んだ社会構造を肯定している。現在進行形でし続けている。

女性は俳優ではなく「女優」にしかなれないこと、レイプという魂の殺人が芸術の名のもとに行われていること、演出家は天皇で、感謝感激絶対服従!が常であること。どんなに頑張っても、女である限り、男達が手にしているその場所へは行けないこと。 

演劇界で、いやむしろこの世界で、男によって殺められてきた女の子たちの魂を、男によって奪われ続けた全ての女の子たちの声を、全身全霊で代弁しているかのような、血で書かれたかのようなセリフの応酬。観終わったあとは放心状態だった。

そして、絶対に観て欲しい人には直接メッセージを送った。すぐに観てくれて、感想を伝えてくれて有難かったです。届いて欲しい人に届いた……!彼女たちの怒りが、こうして誰かに伝わって心からうれしいです。演劇界のこと、作中で扱われている人物についても詳細に教えてもらい、解像度が上がった状態で二回目を観た。案の定、一回目よりも泣いた。

ツイッターを閉じていたのであまり布教出来なかったことだけが心残り。誇張ではなく、とにかく全人類に観て欲しい作品だったので、どうか再演してください……セリフの一言一句お守りにしたいくらい大好きです。台本買います。

 

とある有名起業家の方の辺野古に関するツイートが私のタイムラインにも流れてきた。その時はシンプルに「嫌だな」くらいに思っていたものが、日を追うごとにそのツイートや写真の根本にある思考がどんどん浮き彫りになってきて、嫌だな、程度のものがいよいよ私の中ではっきりと「怒り」に変わっていった。本当にあの人何しに来たんですか?あの言動は、議論をする以前の、問題意識もまるで無い、明らかな差別です。そんな言動に対して、いいねが数万ついてることもかなり辛かったです。お願いだから、座り込みの定義云々ではなく、基地についての議論をしてくれ。

とはいえ、私は県民のくせに辺野古に行ったことも無く(一応説明しておくと、私の居住地から最短でも1時間以上かかる)、むしろ数年前まではネットの出自の分からない情報を鵜呑みにして、抗議活動をする人たちを冷ややかに思っていたことすらあった。今思えば恥ずかしい限り。今回を機に、というのは不本意ですがあまりにも当事者意識が薄かったな……と自分自身のことをも省みずにはいられなかった。でもそれだけ日常に「基地」が溶け込みすぎている、といえばそうなのかもしれない。

大学は普天間飛行場に隣接していた。過去には米軍のヘリが校舎に墜落した事故もあった。けど、私たちは日常生活の中で基地のことをわざわざ話したりしなかった。だって当たり前のようにずっとそこに「あった」から。でも、それが私たちの何を犠牲にされているのか、ちゃんと知らなければならない。

沖縄戦のことも、今年cocoonを観劇して自分ごととしてようやく向き合えたりと、生まれ育った故郷が抱える負の側面にあまりにも無頓着すぎる私は、こうして外側の出来事から揺すり動かされることが多い。

数日後に同じ人の別の言動がまた炎上案件としてタイムラインに現れた。沖縄県民の「言語」に関することだった。あの発言は、どういう文脈で出たかを知った上でも間違いなく差別だし、人々を言語で分断しようとする思考に至ることがもはや恐ろしい。何でそういう考え方になるんですかね……?そして自分が無自覚なヘイトを「向けられる側」にいると自覚した途端、言いようのない悲しみと悔しさに心が覆われてぐったりした。私は県民として生まれて、ただ今日までこの地で生活しているだけだ。私が私であるだけで差別される側になるのか?いい加減にして欲しい。本当に。

この言論も含め、氏に関するやり取りを見ていた数日間は、かなり擦り減ることが多い毎日でした。もちろんブロックはしています。幸い、スケジュールをみちみちに詰めており、誰かと会ったり話したりすることが多かったのと、あとハイローの新作映画を観たりしたお陰で、四六時中考えこむことなく意識を逸らすことができた。お友達とハイローの功績めちゃくちゃ大きい。ハイローの映画については後述します。とても良かったので……。私はきっと暇な時ほど悩んでしまうので、予定を詰め込むことはひとつのコーピングなのかもしれない。

これを読んでいる人(いるのか?)の中には、数日前のことなのにまだキレてるの?と思う人もいるかもしれない。けど、当たり前です。何故なら終わっていませんので。炎上が鎮火したことと問題の解決はイコールではありません。私はこの数日間のことを絶対忘れてやらないし、これからもずっと怒り続けます。

そして今このタイミングしかない、と思って、上間陽子さんの『海をあげる』をようやく読んだ。

「米軍基地を抱える沖縄」で広がる日常の光景、そこに「あった」のに私が見ようとしなかった光景、上間さんの優しい語り口で淡々と綴られていて、ずっと泣きながら読んだ。
既に一年前に話題になった書籍ですが、もし基地問題について興味がある方は「優しいひと」「アリエルの王国」「海をあげる」の章だけでも読んでみてください。

知らないことを責めるつもりはありません。
勉強してくれ、当事者意識を持ってくれ、と強制するつもりもありません。
でも、踏みつけられて痛かった人間がいる、ということは書き残しておきます。

ご自身の気持ちを大切にしつつ、心の中ででも良いので少しでも一緒に怒ってくれたら、ありがたいです。

コンサートやヨントンのレポを読みたくてパブサをすると、メンバーたちが私たちに”見せている”姿や関係性に対し、そこに無いものを”勝手に見出し”ては「断定的な文脈」で語られるツイートが目に留まり、辟易することがわりとある。

このところ「友達」という言葉じゃ物足りないくらいの、言い様のない親密な様子や唯一無二的な間柄を表すとき、恋愛に置き換えて語られることがすごく多いな、と感じます。これは良い/悪いではなく、単純になぜ?と思う。もちろん実際のことは分からないし、色んなセクシュアリティの人間がいるのも事実だし、ひとの中に湧き上がる感情そのものは否定されるべきではないので、そう捉えること自体は悪ではありません。だからこそ、高揚した気持ちを発信するのであれば、もう少し言葉は選びませんか……?と思う。何かに喩えることの全てが悪いわけでは無いけど、不特定多数が閲覧可能なところで発信する言葉には責任を持ちましょうね……と強く思います。特に、短い言葉で「ウケ」を狙ったかのような、威力の強そうな断定的な言い回しは暴力になりやすいな、と感じました。これは私も無意識にやりかねないので、自分への注意喚起でもある。気をつけます。

不穏な文章ばかりで申し訳ない。というかここまで読んでくれている猛者はいるのでしょうか……?

そして先述の通り、ハイローの新作(The WORST X)観ました!!!三年振りの新作!!!ありがとう!!!!劇場に足を運んだ頃には公開からひと月ほど経っており、当初は(三年振りの新作だし……中本悠太さん出てるし……せっかくだから劇場で観ておくか……)くらいに思ってたのですが、翌週にはすぐ二回目のチケットを取っていた。恐ろしい。もっと早く行っておけばよかった。
三年の間に私はケーポペンになり、フェミニストになっていたので、正直この『男』しかいないハイローは純粋に楽しめるか心配していましたが杞憂でした。ハイアンドロー、やっぱりサイコ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!の気持ちで劇場を出た。ドラマシリーズからずっと鬼邪高推しで、轟洋介さんをお慕いしていた身としては、ザワクロは贅沢すぎる時間でした。轟洋介さん……かっこいい……ずっとかっこよかった……
ハイローはとにかく制作陣が、”自分たちがカッコイイと思うこと”を、”全力”で、”お金をかけて実現させるところ”に「良さ」を感じます。セットもカット割りも、まさに「非現実的」としか言いようのない。リアリティを徹底的に排除してるところがもはや清々しい。そもそもSWORD地区、日本かどうかすらもわかりませんしね……

劇中は轟くんにとにかくときめいていたものの、中本悠太さんの須嵜すごくよかった。ケンカアクションを見せてくれるケーポアイドル……ぜいたく……。そして私はNCTをしっかり履修する前にザワクロを観たので、イリチルでのYUTAさん観るとどうしても須嵜……と思ってしまいます。ザワクロ以後、イリチルのカムバ期の映像もちょこちょこ観ていますが、やはりYUTAさんの先に須嵜を見てしまう。そして、前田公輝さん(轟くん役の俳優さん)のインスタやインタビュー映像を漁ってはギャップで悶える日々でした。そういえば私は三年前も同じことしていましたね……。

アイドゥルのニューアルバムがとにかく好きで、毎日聴いています。アルバムタイトルの『I Love』の後に目的語を入れていないのは、聴き手が自身で当て嵌められるよう、そしてどんな愛も尊重するとのメッセージだと知り、アイドゥル……信頼……!となった。知れば知るほど、ソヨンさんを筆頭に5人の確固たる信念と美学が作品に宿っているグループだと感じる。そしてこのところずっとアイドゥルさん達のコンテンツも履修していますが、SEVENTEENさんといいアイドゥルさんといい私の好きなアイドルグループ、仲良し・自主制作・酒強い、な気がする……。

 

 

完全に復活!もう大丈夫!とはいえませんが、伝えたいこと、共有したい瞬間、好きなアイドルの好きなところ、知って欲しいことがたくさんあるし、好きな人達のことも知りたいからTwitterという場所でのコミュニケーションはやっぱり大切だな……とも思えた数週間でした。あとハッシュタグで社会運動に参加出来る場でもあるので、それが出来ないのはシンプルに困る……。

Twitter、どうしても誰かの尊い日々だったり、切実な願いや想いが強い言葉と共にスクロールで簡単に流されてしまいがちで悲しくなりますが、それでも私は無理なく(無理なく!)、なるべくそういうものに立ち止まりながら大切に過ごしていきたいと思う。インスタには変わらず気が向いた時に日記を書こうと思います。(数日経過するとアーカイブにしますが……)

ここまで立ち止まって読んでくださり、ありがとうございました。季節の変わり目ですので、どうか身も心もご自愛くださいね。

陽だまりに影が落ちるとき

※これは2021.6.29にnote(閉鎖済)へ投稿した記事の再編集版です。

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例えば眠れない夜、余計眠れなくなるのが分かっているのに、ベッドの中でTwitterを開いて誰かの気配を探してしまうように、彼にもそんな夜があるのかもしれない。

 

最近、朝起きるとスマホの通知を見て悔しくなる時が何度かある。
通知が来ていた時間は日付も超えた真夜中。
それは決まってスングァンちゃんのVLIVE配信開始の通知なのだけど、私はスマホに時間設定をかけて夜中の通知を全てoffにしているので、リアルタイムでプステラ(スングァンちゃんが深夜に配信する音声VLIVE)を視聴できたことが殆どない。

weverseでコメントを大量に返信する時もいつだって深夜で、スングァンちゃんはいつも気まぐれにふらっとタイムラインに現れて、しばらくCARATとの交流を楽しんだ後に「CARAT達ありがとう。おやすみ。」と去っていく。

 


人見知りなんて言葉、たぶん彼の辞書にはない。
ツアーで訪れた海外の地でも、言葉も通じないのにストリートでのバレーボールに飛び入りで参加できてしまうくらい、抜群のコミュニケーション能力。
単独でのバラエティ出演も多くて、その中での自分の立ち位置や最適な振る舞い方もよく分かっている。

トークを任せられる安心感と、絶対にその場が盛り上がる安定のキャラクター性。
スングァンちゃんが居れば大抵のことはどうにかなる。
そんな彼の居るところは、いつも陽が差しているかのように暖かくて、見ている人に元気を与えてくれる。

 

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『沈まない太陽』。
いつかのバラエティ番組でメンバー達が彼の事をそう表現した。SEVENTEENとCARATの太陽みたいな存在。
そしていつも明るくてグループの盛り上げ役だからこそ、たまには休んでね、とも。


彼が照らしてくれる場所はギラギラと照りつける夏の太陽のように思えて、実は暖かな春の陽だまりのような安らぎがあると思う。

彼のことを知れば知るほど、目で追えば追うほど、
ぽかぽかと照らす陽射しの合間にふっと雲が過るような、そんな瞬間に出くわすことがある。

 

スングァンちゃんは賢い。
何でもスマートにこなせてしまって場の空気も読める子だ。自己管理能力も高くて、自分が納得する自分になるための努力を惜しまない。


だけどそんな彼にも、きっとどこか言いようのない不安や寂しさに襲われる夜があるのかもしれない。

 

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だから唐突に始まる深夜のコメント返信も、VLIVEも、こんな時間に大丈夫?と心配になりつつもそれが彼の心の安寧に繋がって、翌日ちょっと寝不足でもまあ何とかスケジュール頑張ろうかな、くらいに思ってくれるなら本望だ。

24時間365日、いつも笑顔で元気よく、なんて無理だよね。大丈夫、みんなそうだよ。


そしてこれは私のわがままに過ぎないのだけど、私はアイドルに『人間らしさ』を失って欲しくない、と思っている。

もちろん、ステージ上で完璧なパフォーマンスをこなすことはプロとして大前提だけど、特に韓国のアイドルって至る所でカメラがまわっていたり、カムバ時期なんて鬼のような忙しさだし、そんな忙しい1日の合間を縫ってヨントンやサイン会をこなしていたりする。

職業がアイドルな以上、彼らもこんなスケジュールは慣れているだろうし、もちろん好きで楽しんでやっていることの方がきっと多いに違いない。
だけど、ツアードキュメンタリーで不調を訴えるメンバーが続出する姿を見て、私は「アイドルにこれ以上壊れて欲しくない」と心の底から思った。

完全無欠のサイボーグになんて、ならなくていい。
あなた達には一人の人間のアイドルで在り続けて欲しい。
疲れた、休みたい、さみしい、褒められたい、構って欲しい。そういう欲も時折見せて欲しいな、と思ってしまう。(もちろんプロとして一貫してファンに見せないことも凄いとは思う)

 


だから私は、アイドルとして100点満点じゃ足りないくらい、常に輝き続けるスングァンちゃんがふとした瞬間に見せてくれる影のような部分に、不思議と少し安心してしまう。


夜中の感性、と本人は冗談ぽく言うかもしれないけど、彼が深夜に発する言葉が、ステージやバラエティとはまた違った人間らしさがあって私はとても好きだし、こういう時間を守ってあげたいな、と思う。
だって、アイドルにもそんな夜があることに、救われる私みたいな人間もいるから。


そして、そんな彼の素直な感情を受け入れてくれるメンバーや、夜中にも関わらず親身になって彼を楽しませてくれるCARATたちがいてくれてよかったな、とも思う。

心に抱えたほんの少し仄暗い気持ちを「CARATに力を与えて、力をもらいたかったんだよね」という言葉でまろやかに包んで、世界のどこかで、同じ時に同じような想いを抱えている人に寄り添ってくれる。
彼の元には、きっと毎日CARATから多くのメッセージが寄せられているはずだから、同じ気持ちを抱えているのは自分だけでは無いことを知っているのかもしれない。

 

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いつかまた眠れない夜、偶然同じような夜を迎えている彼に出会ったら、その時はゆっくり彼の言葉に耳を傾けて、一緒に不安な夜を乗り越えていけたらと思う。

 

いつか魔法が解けてしまっても(2022.1.16 独りよがりな祈りと祝福)

※これは2022年1月16日にnote(閉鎖済)へ投稿した記事の再編集版です。

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正直に言う。

私はぶっちゃけスングァンちゃんが居なくても、ひいてはSEVENTEENさんが居なくても残念ながら生きて行ける。

 

 

アイドルは私の生活の一部ではあるけど、全てではないし、そもそもアイドルの存在自体一瞬のきらめきに過ぎなくて、だけどそれ以上に、推し変やペン卒なんて言葉があるファンの気持ちはもっと揺らぎやすく刹那的だろうな、とも思う。

 

今わたしは、この先こんなに素敵なアイドル達に出会うことは無いだろうという確信と、彼らへのこの情熱はいつまで持続するんだろうという冷静さが常に共存している状態で、一年後同じ熱量で推せてる自信があるかと聞かれたら首を捻ってしまう。だって明日のことすら分からないのに、一年後なんて分かりっこないから。

 

 

SEVENTEENさんに出会って、CARATという名前をもらった日から、ずっと魔法にかけられていると思っている。推しを夢中で推している時間は、魔法。カムバを待ち望み、SNSの通知が来る度に嬉しくなり、フォロワーさんとあれやこれやと語り合い、ふわふわと熱に浮かされるように指を走らせて、ただひたすらに想いを綴る。

 

でも、魔法の効力にはきっと終わりがある。

それはもしかしたら数十年後かもしれないし、意外と遠くない未来のことかもしれない。

この先彼らへの情熱が途絶えてしまっても、人生においてこんなにも魂を焦がしたアイドル達がいたことを、この先何度だって思い出したい。だから書く。これは、大好きなあの子への手紙でもあると同時に、いつか魔法が解けてしまった未来の自分自身への手紙でもある。

 

 

 

 

いわゆる「太陽属性」みたいな子が好きだった。 でもこれまでのそれはアニメのキャラクターにおける話で、初めて推した男性アイドルの、しかも最推しのメンバーもまさかそんな子になるとは思っていなかった。 だって生身の人間には、体温がある。心がある。生活がある。

仕事をする上であまり好きではない人に出会うかもしれないし、なにもしたくないなぁと思う日だってあるかもしれないし、私よりも遥かに多くの心無い言葉を浴びて傷付くこともあるかもしれない。

 

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明るくて天真爛漫で、それでいて頭の回転がとても早い気遣い屋さんの彼が、

どんなにバラエティ番組に呼ばれようと絶対にSEVENTEENという名前を背負って活動をこなす彼が、

故郷の気候と同じようにぴかぴかの晴れマークのような彼が、

いつだってグループの中の光のような存在として扱われることは、誇らしくもあり、少し不安にもなった。

 

だってお天気だってそうだ。ずっと晴れが続くと、次第に人々は雨を望むようになるし、ずっと暑い日が続けば、一瞬の曇り空の涼しさが心地よくなる。

 

だから、スングァンちゃんが時折見せる翳りのような部分に、私はとても安心感を覚えてしまう。

 

weverseで、元気そうに見えるでしょ?実は超疲れてるって素直に言えてしまうところや、クリスマスの華やかな雰囲気に馴染めなくて物悲しさを感じてしまうCARATに対して「僕もそうですよ」と寄り添ってくれるところもそうで、ステージを降りて、尚且つカメラも回っていない場所から発するスングァンちゃんの言葉を読んだり聞いたりすると、「あ、私は今一人の人間の男の子を見守っているんだな」と気付かされる事が多い。

 

 

ステージ上ではCARATに元気と愛をたくさん与えてくれるスングァンちゃんでも、誰かの力を借りたくなる夜があるということに何だか親近感を覚えて、以前こんな記事を書いた。

それくらい、私はアイドルが見せる「影」の部分に愛おしさを感じてしまう。

 

 

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晴天が好きだ。

空気が澄んでいて、お洗濯物がよく乾いて、お出かけするのに躊躇うこともないから。だけどそれは、時折挟まる雨や曇りの日があるからこその話だ。

 

雨でも、曇りでも、すべての天気に価値があるように。365日、毎日同じ天気などないように。今日のあなたが晴天でなくとも、どんよりとした雲が心を覆い尽くしていようとも、それすら尊いもので、無駄な感情などひとつもないのだと伝えてあげたい。 悲しみや痛みを無かったことにせず、どうか自分の気持ちを大切にしてほしい。

 

アイドル活動だけでなく、バラエティやバドミントンの仕事までこなしてしまうスングァンちゃんは花丸じゃ足りないくらいの優等生だ。

きっと現場スタッフからの信頼も厚いから、何度だって個人活動の声がかかるんだろう。

もちろん求められたお仕事を完璧にこなすのは大前提だからこそ、メンバーやCARATの前では常に完璧でいようとしなくてもいいんだよ、と思ってしまう。

 

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IN THE SOOPで誰がイケメンかを一人一人発表しようよ、という流れになった時に「イケメンじゃなくて魅力的かどうかにしようよ」と提案したのはスングァンちゃんだった。

メンバーと長年一緒に生活してきて、お互いの性格も分かっているうえで、それが決して悪意のない遊びの範疇であったとしても、そういうことを訂正できる姿は、アイドルである前に誰一人として傷付けようとしない彼自身の優しさだと思う。

 

私自身が優しくされた訳では無いのに、大好きな人が他の誰かに優しいと無性に嬉しい。

まるでザ☆ピ〜ス!のサビみたいなこんな気持ちはスングァンちゃんから教えてもらった。

 

 

初めはただ「かわいい!」という一心で目で追っていた彼のことを、知れば知るほど好きになってしまって、だけどそれは私にとって恋とも探究心とも違っていて、ただ突き動かされるようにその対象に惹かれている、としか言えなかった。

 

好きや愛してるよりも、もっとふさわしい言葉がありそうなのに、結局好きや愛してるとしか言えない自分がもどかしくて、消費行動だけではない推し方をずっと探していた。

だけど「あなたを愛してるから」「あなたのためを思って」なんて言葉であれこれ願望を押し付けることはしたくなかった。だってそれは愛という大義名分を振りかざした、ひどく傲慢で自己満足的な推し方だから。

 

 

 

人は変わっていく。

好きなものも、環境も、価値観も。

だからこそ、「昔の方がよかった」なんてことは絶対に言いたくなくて、私はその変化すらも一緒に楽しめる存在でありたいな、と思う。

人権なんて、あって無いようなアイドルという職業を選んだ彼を、傷付けることなく優しいまなざしを持って愛していきたい。

なにも手を施すことはできなくとも、あなたの気持ちを尊重してあげられるCARATのひとりでありたい。

 

あなたの気持ちをこの先も大切にすること。 それが、愛することの私なりの最適解だ。

 

 

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スングァンちゃん。

済州島がどんなに素敵な場所かも、一昔前のK-POPの魅力も、アメリカーノの美味しさも、あなたを好きにならないと気が付けないことばかりだったよ。 SEVENTEENのブ・スングァンとして、たくさんの幸せをいつもありがとう。

 

あなたが居なくても、私は生きていける。

だけど、SEVENTEENを好きになって、あなたを好きになってから、生きていくことがもっと楽しくなった。私の日常に、こんな素敵な魔法をかけてくれて、ありがとう。

 

大好きです。今日も。

でも、あなたに直接それを届けられるとしたら、ヨントンもいいけど、やっぱり満席のコンサート会場での、あの眩い光の中がいいな。たくさんの愛と喜びを共有できる、世界で一番幸せであろうその場所は、私はまだ画面でしか見た事がないけど息を飲むほど綺麗だった。だから愛を直接伝えられるのなら、あなたがひときわ輝くであろうその場所で、その大勢の歓声の中の一人としてがいい。

 

 

お誕生日おめでとう。

あなたの周りが、どうかあなたのことを大切にしてくれる人だけで溢れますように。あなたの優しさが利用されることなく、傷つかなくていいことで傷ついてしまうようなことがなく、疲れた時に疲れたと言えるような場所がこれからもずっとあなたの傍にあり続けますように。

 

 

今年の1月16日も、こうしてあなたを好きでいられてよかった。あなたを祝福できてよかった。願わくば、また一年後もこうしてあなたを好きなままで、この日を迎えられますように。

 

 

たまには疲れて崩れる時があっても、あえて大丈夫なふりをせずに、僕の横にいる12人のメンバーたちと、CARATたちと一緒に勝ち抜いてみせます。

 

再契約の時のあなたのこの言葉をお守りに。

そうだね。何があろうとも、私たち負けないでいようね。

 

 

 

2022.01.16 HAPPY SEUNGKWAN DAY.