太陽になった日の日記

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友達が予約してくれた飛行機が10:10発。
なんて完璧な旅の始まりなんだろう……と思った。
前日に施した爪を何度も眺めてはにんまり。きらりと細やかなラメが輝く深いオレンジ。髪には分かりづらいけどオレンジみのあるハイライトを入れてもらった。私は生粋のブルベ(3〜4年前の診断です)らしいので暖色を避けてきたけど、SEVENTEENさんに出会ってからというものの、身に纏いたい色を見つけたとき、ブルベとかイエベとかマジで知らね〜〜〜と思うようになった。良いことです。

数日前に感情が溢れて泣きながらiPhoneのメモ欄にファンレターの下書きを打ち込んで、翌日に違う意味で泣きながら韓国語訳を書き写した。腱鞘炎になるかと思った……こんなに全力で手紙をしたためたのは初めてです。
お手紙の良いところは、送り手と受け取り手のみにしか中身が共有されないことだよなぁと思う。

Twitterはてブロのように不特定多数に読まれることを前提にしていないので、誰の目も気にせず素直な気持ちを本人に届けられる!という喜びと、でも膨大な数の手紙を受け取るであろう本人の負担を考えると、独りよがりになってはいけない……という思いもあり、悩ましかった。
伝えたいと思えば思うほど自分語りにしかならないのは、対象が直接的な関わりのない”アイドル”、かつ”推し”という重要で大切な他者だからこそだな、と思う。

 

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東京が好き。
特に意味はないけどわたしは高くてデカい建物にとにかくテンションが上がるので、電車から見える有り得ない高さのオフィスビルや、タワーマンションが並ぶ光景すらも魅力的で、その街の中に自分が居ると思うだけでワクワクする。
もう遠征で何度も訪れているけど、沖縄に比べていろんなカルチャーにアクセスしやすいのも嬉しい。本音を言えば1週間くらい滞在して、朝から夕方までありとあらゆる美術館と書店を巡ってひたすら散歩したい。ただ歩いているだけでも楽しい。でも住処にしてしまうと、私が好きな「東京」ではきっとなくなってしまう。
吉澤嘉代子ちゃんが「東京絶景」で東京を”美しい”と歌っていて、わかる〜〜〜〜となる。”欲望の街”、”星は見えない泡沫のプラネタリウム”、私の場合は自然が美しいと言われる場所で生まれ育ちましたが、東京のぎらついた人工的な輝きも同じくらい美しいと思う。少し乾燥した街の空気、駅の雑踏、煌びやかな看板たち、地方では感じられないこの上ない開放感にグッときます。スクランブル交差点を友達に掴まってビビりながら渡ってしまったけど、大好きな街です。

 

話が逸れましたが、初日にはSEVENTEEN MUSEUMに行きました。
(以下ネタバレ含みます!まだの方はスクロールして飛ばしてくださいね)

 

メンバーのQ&A、日本の活動で印象に残っていることは?みたいな内容だったと思う。
スングァンさんの「Happy endingの活動のとき、メンバー達と沖縄の海を見に行ったこと」との回答を見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。
嬉しさのあまり友達に「ねえ、ねえ、これ、みて、ねえ」と泣きそうな声で伝えることしか出来ず、ずっとスングァンさんのパネルの前に居てもいいですか……宝物にしたい……と思うくらいには心が満たされた。たくさんあるはずの日本での素敵な思い出の中で、こうして記憶の中から選んで伝えてくれたこと、本当に感謝しかない。
撮影禁止エリアなのが歯がゆかった。でもどうしても覚えていたいからこうして書きました。元々このイベント自体行く予定ではなく、ギリギリに日程に組み込んだけど来てよかった。ありがとう……

フォトスポットで順番待ちの人達を前に写真を撮るの、めちゃくちゃ勇気がいるな……と思ったけど、こういうのは照れたり遠慮したりすると絶対後悔する!と思ったので自意識を捨てて頑張りました。最近、写真の「撮られ方」を模索する日々です。撮られる時はルックアットミー精神で堂々とすること、自分が思うよりちょっとオーバーなくらい笑ったほうがお気に入り写真になることが多いな……と気が付いたので、あともうちょっと慣れたい所存です。可愛く、よりも楽しそう・幸せそうに撮られたいですね。

 

夕方から東京ドームの下見がてらフォロワーさんとお会いして、音漏れに大興奮したり、お写真を撮ったり、SEVENTEENさんコラボプリを撮ったりしていました。
コラボプリ、というかプリクラってやっぱり難易度高すぎる……ブース内でわあわあ大騒ぎしながら撮ったの良い思い出です。
夜には26日に参加されたフォロワーさんたちも合流して、HANABI以来の再会にじーんとなる。また会えてとってもうれしかった。コンサート会場での再会って、本当に奇跡だな、と思う。
そしてお土産やスングァンさんのトレカをたくさんお譲りいただけて、嬉しくて有難くて、恐れ多い……!となる。CD積まない民なので、トレカ類がなかなか集まらない人間で申し訳ないです。私の手元にいるスングァンさんは半分以上がフォロワーさん方のご厚意でやって来たので、ファイリングを眺めてはいつもありがとうございます……となります。ありがとうございます……本当に。

私に出来ることは銘菓をたくさんお裾分けすることくらいなので、今後もいろんな沖縄銘菓をお渡ししたい。ちんすこう掴み取り大会とかしたいですね。
スタバが閉店時間だったのでサイゼに移動したりしましたが、あまりにも時間があっという間すぎる……。
SEVENTEENさんが交差点になって生まれたご縁、住んでいる場所も年齢も違う人々と、隔たりを感じさせないかけがえの無い時間をすごせること、シンプルにすごいな。幸福すぎるな。
私は関係性を維持するためにリソースを割くことがとても苦手なので、どのジャンルでも繋がりが長続きしないんですが、こうして「何度でも会いたい」と思える貴重な人達に出会えたこと、有難い限りだな〜と思います。
テクストだけじゃないコミュニケーション、アドレナリンがどばどば溢れてお喋りに夢中になる時間も、ふと訪れる居心地のよい沈黙も全部好きでした。別れ際も自然とハグしにいってて自分でもびっくりした。うれしくって抱きあうよ、ってこういうことかもしれない。(そういう接触がもし苦手だったけど無理をさせていたら申し訳ない)

 

23時くらいにはホテルに戻る予定が延長に延長を重ねもはや日付が変わる寸前になっていたと思う。ホテルの部屋で待っている友達にLINEを入れたところ「わかった!終電までには帰ってくるんだよ」との返事があり、優しい……となった。

 

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遠征のときにすこぶる体調が良いのは珍しいと思う。
友達がいたお陰か、SEVENTEENの現場が2回目だからなのか、理由はよくわからなかった。

前日の夜は爆睡、朝はちゃんとお腹を満たして、ご機嫌でドームに向かった。体調良好、お天気にも恵まれており、その時点でサイコ〜!となる。

開演前にも何人かご挨拶出来てうれしかった。あんな人の多い中、見つけてくださりありがとうございました……。楽しみましょうね!と言い合って別れるの、とっても好きです。コンサート会場ならではのやり取りだな〜としみじみ思う。

 

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そして入場。
今日、私のために用意された席に座る。

”夢の東京ドーム”と言われているほどに、SEVENTEENさんにとって思い入れが強い場所に、私の席があること、ありがたい限りでした。
座席数の多さにはそこまで驚かなかった。
たくさんのCARATが彼らの傍にいることは、ずっとずっと前からわかりきっていたことだから。
むしろ世界中にいるCARATの数に比べたら、5万人なんてほんの一部に過ぎないと思う。
今日という日を会場で見届ける権利を与えられたことに感謝しつつ、開演を待った。

 

※コンサートの記憶が断片的なので思いついた順に感想を書きます。そして、既に他の方がブログなどに書いているかもしれない比喩や、似たような言い回しを使うかもしれません。悪しからず……

 

私の席は2階スタンド席のどちらかといえば前方。”どちらかといえば”という枕詞が付くのは、私よりも前方のスタンド席は照明機材が配置されていたから。
隣にスタッフさんが腰掛けると、ちょうど同じサイズ感になるくらい、私生活では絶対お目にかかれないであろう大きさの照明が13台。開演時間が近づくと、1台につき1人ずつスタッフさんが担当する形で着席した。

かっこよかった。

SEVENTEENだけではなく、ここにも職人たちがいた。
それぞれの持ち場で、それぞれの東京ドーム。
今から目にする光景は、ステージに立つ彼らだけでは決して実現できなかった、数多の職人技が結集してこそ、創りあげることが出来た空間なんだ……。こちらまで身が引き締まる。一瞬一瞬、ちゃんと心に刻みます。ステージを輝かせてくれて、彩ってくれて、ありがとうございます……と背後から感謝の気持ちを送る。裏方の仕事ぶりを間近で見られたのは、貴重な経験でした。

 

DREAMのMVが流れ出す。いよいよ日が昇る。

 

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強烈な愛のうねりのようなものを目の当たりにした時、わたしがずっとこねくりまわしていた理屈はなんて無意味なんだろうと思う。
大好きだ、とありふれた言葉が何度も胸を駆け巡ると同時に、言葉は、なんて頼りないのだろうと思う。どれも当て嵌るのに、どれも正解じゃない。ありあまるほどの愛に、脳が追いつかない。

 

東京ドームで見たSEVENTEENは、SEVENTEENが放つ光は、あまりにも大きかった。
私はステージから一直線上にある2階席の真ん中から彼らを見つめていたので(本当に絶景だった)、今日ここに来ることが叶わなかったCARAT、デビュー前から彼らを見届けていたCARAT、あるいはつい最近彼らに出会ったCARAT、一人一人との物語がすべてここへ繋がっていると思うと胸がいっぱいになる。

 

”東京ドーム”に対しての、どこか崇高さみたいなものはあれど、誰がどこに居ようと関係なく、紛れもない「SEVENTEENとCARAT」で迎えた大切な日。
溢れんばかりの愛を全て引き受けてステージに立つ13人の存在感そのものは、あまりにも大きくて眩しい。だけど、紛れもなく私がよく知っている、いつも通り最高のSEVENTEENだった。

 

「ひとりじゃない」が終わるころ、ジョンハンさんがゆったりを背を向けるのを合図に、「舞い落ちる花びら」のイントロが流れ出す。あまりにも美しい、清らかな水のような曲の繋ぎ。HANABIのときに見えなかったフォーメーションが、ここからはよく見える。

 

蕾だ、と思った。

 

東京ドームの真ん中。冬を耐え抜いた蕾が、鮮やかな13の花びらを纏って、ようやく開花したのを確かに見た。
ツアーの中止、長い長いコロナ禍、再契約……私が共にした彼らとの約2年は、凍えるような寒さに耐えながらお互いの”あいのちから”を、その心の温もりを確かめあいながら過ごした日々だったように思う。
あたたかな春の陽射しが舞い込むように、ようやくSEVENTEENとCARATのあたらしい物語が動き始めた。雪解けだ。わたし達のもとには、確かに春が来たんだ。

 

開演からじんわり涙が滲む瞬間はあったものの、涙は零れなかった。これはHANABIのときからそう。けど、アンコールで披露された「あいのちから」で、マスクがびしょびしょになるくらい泣いてしまった。
切実な祈りの歌は、再会を経た今、歓びと労いの歌に変わったように聴こえた。

 

メントでは「責任」という言葉を使うメンバーが多かった印象です。
それは見方を変えれば”重圧”とも捉えられるかもしれないけど、常にCARATと想い合い、ここへたどり着くまで、そしてこれからも長い旅路を共にしていくからこその決意表明であり、かつ”アーティスト”として職人気質なSEVENTEENさんだからこそ、もっと良いものを見せたいという思いから出てきた言葉だと解釈した。
べつに他人に都合のいい妄想だと嘲笑われても構わない。彼らの誠実さは、CARATという名前を貰った誰もが、きっとよく知っている。

 

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なんとも形容しがたい「良い」としか思えないエピソードや、「好きだ」の三文字しか浮かばない瞬間が幾度となくあった。小さな爆発が何度も起こるかのような、そんな風に心がスパークすること自体が、彼らを好きな証拠なのかもしれない。この空間と目の前の彼らにただ没入する。笑う。躍る。SEVENTEENを前にすると、私は何もかも手放せる。理屈を捨てる。心が浄化する。幸福だけに支配される。だから好きでいることを止められない。
この1年ほどは、言語化、ということを大切にしてきたけど、言葉にならない瞬間だって確かに存在した。言葉を失うのではく、言葉なんて要らない。そう思った。あの時感じた胸の奥から燃えあがるようなそれは、ただ、その瞬間が「あった」ことだけで、こんなにも尊い。大丈夫、この先も思い出せる。だから私はまた彼らに会いに行く。想いは、誰に共有しなくても、私だけが知っていれば十分だ。

 

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そして終演後、ほくほくとした気持ちのまま夕飯がてら友達とサイゼへ。(2日連続です)(飽きない)
ただただ、楽しかった!!!という心地よい達成感のようなものに包まれた私はコンサートの記憶がほぼなく、起動させたiPhoneのメモには「スングァンさんのPOP」としか打ち込むことが出来なかった。本当にしっかりして欲しい。
友達は私の目の前で次々にコンサートの感想を箇条書きでメモへ打ち込んでおり、その冷静さに、すご……となった。

 

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(スングァンさん、ここがサイゼです)


サイゼの100円ワインで乾杯して、好きにお腹を満たして、帰りにコンビニで買い込んでホテルの部屋でまた飲んだりした。
ホテルのテレビでたまたまミュージックバンクの再放送がされており、しかもSEVENTEENさん出演回だと知り、慌ててCARAT棒を準備、コンサート終わりでテンションが上がりきっているのでaespaにもCARAT棒を振るなどしていました。オタクはとにかくペンライトを持つと振りたがるので……


歌唱曲は「_WORLD」だった。

つい数時間前まで東京ドームで一緒にいた人達を、テレビの画面で観るという不思議な体験。
K-POP10年選手で、シャヲルでもある友達が映像を観ながら「誰も欠けずに、こうして全員揃って出演出来ているのは凄いことだよ」と言っており、そっかぁ……程度にその時は聞いていたけど(あまり重苦しくないテンションでもあったので)、こうして遠征振り返り日記を書きながら、そのありがたみをようやく感じています。

 

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遠征から帰ってきたことを「現実に戻る(夢から醒める)」と喩えることがよくある……というかこれまでずっとそう言ってきた。

 

東京からの帰り道、明日から現実か……という思考になりそうな時、”夢ではない”と歌うSEVENTEENさんのことを思い出しては、何度も救われた。
東京ドームで私が見た景色、あれは夢のような”現実”の出来事だったのだと、SEVENTEENさんが自ら肯定してくれている。
アイドルは現実逃避のための、夢の中の存在ではなく、この現実世界を共に生きる存在なんだ……という実感。生活や仕事がままならずしんどくなる時だってあるけど、SEVENTEENさん、もといSEVENTEENさんたちが結んでくれた縁も、紛れもない私の”現実世界”であり、家族や友達と同等に人生の傍らに寄り添ってくれている。

励ましや癒しを与えてもらうだけではなく、それぞれの場所で、今もこれからも、歩みを共にしていく存在。

SEVENTEENの旅路にはCARATである私がいて、私の旅路にはSEVENTEENがいた。それだけのことだ。

 

「また会いましょう」は、よくSEVENTEENさんが使う言葉だ。お決まりの挨拶でもあるけど、「また」があることの希望みたいなものを今感じています。

SEVENTEENさん、再会できて嬉しかったです。

そして次の約束を交わしたからには、また会えるその日まで元気に過ごさなきゃだめですね。
なんせ、次会うときはもっと大きな会場なはずですから。

 

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(改めて、お会いして一緒に時間を過ごしたり、ご挨拶してくださったり、ソンムル交換にこころよく応じてくださったCARATの皆さん、本当にありがとうございました。今回お会い出来なかった方も、次のSEVENTEENさんとの約束を果たすとき、必ずやお会いしましょう!!!!)

 

 

(3日目の芝公園お散歩日記も書こうと思ったけど、本当にただ友達とお散歩しただけなので割愛します……!)